明治14年の褒賞条令の施行によって、 金銀木杯の仕事を受けるためには、 従来の消蒔絵では規格に合わないので、明治17年に渡辺仙之助・池田清太郎はじめ7人を招き、平極蒔絵の指導をうけた。それ以後木杯の制作が盛んになり、この技法は一般の漆器にも使われるようになった。
会津では金粉の名称から、焼金蒔絵と言われている。
平極蒔絵の技法には、平蒔絵と高蒔絵があり、現在も叙勲の木杯に描かれる菊の御紋は、平極蒔絵の技術が使われており、椀や重箱、文庫や正月用品などに、幅広く活用されている技法である。
DESIGN IDEA(会津漆器伝統技術2)福島県ハイテクプラザ会津若松技術支援センター(平成11年3月,16p)P.13・14より転載
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